販売促進・企画係の白数です。 ここんところ、いい天気の日が目立つ…。
と、いってもフラフラと外出できる立場には、ほど遠く…。 でも、天気がいい日には、
天橋立にカメラをもって出掛けたくなりますねっ。 「ブログネタ」を口実に…。(*^_^*)
出勤して、相棒の「パーソナル コンピュータ」と、スーパーにらめっこ…。
しばらくすると眉間のしわが「日本海溝」なみに窪み、深海魚が「ドバドバ」飛び出してきそうに…。
ギザ ヤバス…。 目まいが…。 ちょっと、一息…。
「丹後観光情報センター」発行の「天橋立散策マップ」がデスク脇にあり目につく…。
お越しになるお客様への観光案内に大変便利なマップです。 いつも見ているが、改めて目を通す…。
んんん???
これって…???
おまじないがあるんだって〜??? (@_@)
こりゃ、いかん!! いかんぞ〜っ!!
お越しになるお客様すべての方にご案内しなければ、お客様の今後の人生にもかかわる事じゃないか…。
こんな重要事項を「サラリと、そして丸文字チックに書いてていいの?」の疑問が…。
とりあえず、現場に急行して事実関係を把握しなければ…。 解明しなければ…。(正義感???)
〜 頭の中には「名探偵 コナン」のメインテーマが鳴り響く!! 〜
ウズッ ウズズッ ウズズズズッ…。
でぇや〜〜〜〜っ!! (ウルトラセブン風)
まずは「岩見重太郎」の人物像から調べる必要が…。 「岩見重太郎 仇討ちの場」の調査から開始…。
天橋立ホテルから徒歩15分。
その場所には碑が立っていて「岩見重太郎敵討ちの場」と刻まれています。
恥ずかしいが、名前は観光案内とかで知ってるけど、何者か?何をした人物か?は詳しく知らない…。
「おっ!! 親切に人物の説明がかいてあんじゃん」 ちょっと真剣に読む…。
「ふ〜ん。 そうなんや…。」
ぶっちゃけ、剣豪で「重太郎」と言えば北辰一刀流「千葉重太郎」しか知りません。
「千葉重太郎」
幕末の剣客。千葉定吉の長男。父、定吉が鳥取藩江戸藩邸に詰めるようになると、30歳にして道場を任された。万延元(1860)年、重太郎は鳥取藩に召し抱えられ、文久2(1862)年、周旋方に就任。同年、勝海舟の開国論に反発して、坂本龍馬とともに勝邸を訪ね、機を見て斬ろうとしたが、龍馬が海舟に感激して師と仰いだ為に計画を断念している。戊辰戦争では鳥取藩歩兵頭として出陣、、明治4(1871)年に家督を継いで、鳥取県官吏として出仕、開拓使権大主典として北海道開拓に活躍した。その後は京都府の官僚となり、明治18(1885)年に没した。62歳。
で〜っ!! また、話が「横道」「縦道」「もこみち」や〜っ!! (得意の幕末ネタかよ…。)
今度は、核心の「岩見重太郎 試し切りの石」の場所へ移動…。
これが、その「おまじない」の一円玉か〜っ…。 絶対、10年前にはなかったハズ???
でも、下にイッパイ落ちているって事は…。 置いた人は今頃???
「信じるか信じないかはあなた次第…。」
2009.04.24 Friday
天橋立の都市伝説???
Author : amanohoashidate | - |